自分なりの油絵の技法を見つける旅
油絵を何度も描いていると、自分なりの技法が出来上がってくる。自分なりの方法。もっと誰にも真似出来ないような個性的な描き方になりたいものである。私は40才過ぎてから、いきなり画家になるといって、サラリーマンもやめてしまっているが、何だかそれが面白い人生でもある。何だか覚悟すると違ったことが起こる感じがする。でも、決意したというよりも、自然な流れにも感じたりもする。それくらいしっくりした生き方である。今まで会うことのないような人達と出会うことも沢山ある。急激な環境の変化だ。何故かイラストレーターさん達と知り合う機会が多くなっていて、自分の絵画に関してもイラストの影響もあるようになってきたようにも感じる。少なからず身近にあるものは影響を受けるものである。でもやっぱり、イラストというよりも絵画であるのが自分の絵で、イラストレーターのように要望のある絵を描くことは難しいのです。そもそも、印象派のイメージで生きていたいので、自分の描きたいものを感じたまま好きなような画風で描いていける今のようなスタイルの油絵を描くことができれば、それで良いのかと思っている。それが、もっとも自分らしい生き方であるし、素直な描き方であると思っている。何を描いていても自分の画風しかできないけれど、それが自分の方法なのだし、器用に画風を描き分けてなんて、そんな能力だってない。根本的に不器用なのかもしれない。自分の画風を好む人になら、注文を受けて描くことも可能だけれど、本当にイラストの意味での描くことは自分には凄く困難に感じる。そもそも、感動していないようなものを描くことが出来ない。
それはそうと、何年もかけてしつこく、同じ題材を何枚も何枚も描いていくわけだけれど、それで自分なりの画風ができてくると思っているし、それが出来上がるにはすぐに出来るものでもなくて、本当に時間のかかるものなのかとも思うところがある。そこがまた熟成されたような楽しみもある。描き方は素早く描くのだけど、枚数を描くことで描き方の熟成がされる感じになれば理想です。
そのために、とにかく枚数を描くこと。失敗しても、次の油絵を描く。新しい技法が見つかったら、次にその技法を使ってみる。その繰り返し。毎回実験して結果をみて、個展をして反応を見て。その繰り返し。無理に描くわけでもなく、できるときにひたすら描く。調子にのって描けるときを待っている。そのために、整えておく生活をする。そんな生活になっているつもり。
何だか、そんな生活をしていると、この歳になっても新しいものを生み出せるような気がして、ワクワクしていられて楽しいものです。自分なりの技法を見つける旅。楽しいですね。
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