かつて足繁く通ったレコード屋、タワーレコード。しかし最近、全くと言っていいほど興味がなくなってしまった。一方で、本屋へ行く習慣は今も続いている。この変化の理由は一体何なのだろうか。
大型書店に足を運ぶのは、新しい本との出会いを求めてのことだ。様々なジャンルの書籍が並ぶ棚を眺めているだけで、知的好奇心が刺激される。気になる本があれば、気軽に立ち読みをすることができる。中には椅子が用意され、じっくりと内容を確認できる書店もある。もちろん、本の内部撮影はNGだが、実際に手に取って内容を吟味できるのは大きな魅力だ。
それに比べて、レコード屋はどうだろうか。新譜のCDが豊富に並んでいるわけでもなく、昔のように掘り出し物に出会う機会も減ったように感じる。本屋との決定的な違いは、音源を気軽に試聴できない点だ。基本的にジャケットのデザインとアーティスト名だけで購入を決める、いわゆる「ジャケ買い」が中心となる。これは、ある意味ロマンチックな行為かもしれないが、失敗するリスクも伴う。
一方、本であれば試し読みが可能であり、時間をかけて内容を確認することができる。もし気に入らなければ、購入を見送るという選択肢もある。この安心感は、レコード屋にはないものだ。
さらに、新譜の情報収集という点においても、レコード屋は時代に取り残されていると言わざるを得ない。スマートフォンやパソコンを使えば、CDの発売日よりも早くストリーミングサービスで楽曲を聴くことができる。ストリーミング配信されていない音源であっても、ダウンロード販売サイトでは部分的に試聴できる場合が多い。わざわざ店舗に足を運び、試聴もままならないCDを購入する意味が見出せなくなってしまったのだ。
もちろん、レコードやCDには、所有欲を満たすという側面や、パッケージとしての魅力があることも理解している。しかし、私にとって音楽との出会い方は、すでにストリーミングやダウンロードといったデジタルな手段へと完全に移行してしまった。
本屋は、単に本を購入する場所ではなく、新しい知識や物語との偶然の出会いがある場所だ。立ち読みを通して予期せぬ発見があったり、平積みされた話題の本に興味を惹かれたりする。それは、まるで宝探しのような感覚に近い。そして、気に入った本を手に取り、ページをめくる時のわくわく感は、デジタルデータでは決して味わえない。
レコード屋への興味が薄れてしまったのは、時代の変化による必然なのかもしれない。音楽の聴き方が多様化し、情報収集の手段も変わった今、かつてのレコード屋の役割は薄れてしまったのだろう。しかし、本屋は依然として、私にとって新しい世界への扉を開けてくれる特別な場所であり続けている。これからも、私は本を求めて書店へ足を運び続けるだろう。